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母の死に思う

7月母が永眠した。夏至過ぎたあたりから急に容体が悪くなり急ぎ入院。
「自分の世話は自分でする」人なので病院で世話されるのはつらいだろうと危惧していたら案の定 急速に弱り、2週間で帰らぬ人となった。

予感めいたものがあり 例の大災害が起こると言われてた7月5日に家族を連れて大阪へ見舞にいった。亡くなる前にお別れの挨拶ができてよかった。
子供たちは変わり果てた母を見て固まっていた。
亡くなる前日も妹、弟、次女を連れた私とが病室で会い 話ができた。
当日は長女が学校から帰ってから家族で向かおうと思っていたら間に合わなかったが、妹と弟が立ち会えたので よかった。
全てに最善は尽くせたと思う。

妹が入院の時同様 段取りよく葬儀の手配をしてくれ、葬儀場が混んでると言われていたが良い日で親族のみの家族葬をおこなえた。
妹には本当に頭が下がる。母も妹だけには愚痴をいったり甘えていた。

葬儀では従姉や叔母たちが思ってる以上に母のことをとても慕ってたのを知った。近所の友人の方々も突然のことに驚き悲しみ、お参りに来られた。
妻に言われて気がついたが 友達や交友関係が広いほうだった。当たり前のこととしてみていた。

母の美点としては 優しさ、人のためにつくす の他に 自分のことは自分でする、それとたいていのことでは痛いとかつらいとか言わない忍耐強さ、人の悪口やうわさ話をしない があったと気づかされた。普通のことと思っていたが そうではなく、そしてそれらを自分たち兄弟も少なからず受け継いでるのかと思う。それらは子供たちに継ないでいきたい。

葬儀後 弟、妹と 自慢の母だったし母の子でよかったと話し合った。
最期 母にありがとう と伝えれてよかった。
そして 従兄らに仲の良い兄弟と言われて少なからず驚いた。
当たり前になっていることが多い。育った環境の当たり前は父母の恩寵だった。


母は常々「無理に延命して生き永らえたくない」と話しており、私や妹たちも同意見だった。
楽しみもなく苦しいだけの状態が長引くのはお互いつらい。
そして実際 そのように長引かず他界した。
急だったが 長引けば長引くほど 母はつらいし 毎日のように看病していた妹は疲弊しただろう。私たちも覚悟はしていたので最善のながれだったと思う。

つらいことでも ふりかえれば「自然のながれは常に最善である」 と今回も感じた。

そして死生観 というほどではないかもしれないが、母なりに自分の死に方を提示していた。
「そこまでして生きたくはない」というのは人としての尊厳だと思う。

また最後まで入院したくなかったのも「養生」的な考え方で、病気と付き合いながら 自分の世話は自分ですることは私たちにはとても自然なことに思えた。

生とはなにか、どう死んでいきたいか。
死に方が決まれば生き方が決まる(葉隠 武士道の書)

自分はどう死にたいか、母を偲びながら自問自答していきたい。

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