「憂国」 三島由紀夫
戦前の士の夫婦の在り方、憧れへの純真無垢な心情を羨ましく感じた。
夫婦の自刃自殺に至る阿吽の呼吸、二人が死を決めたときの喜び、死までの時間の一瞬一瞬を時間の煌めき、最後の営み、死地へ赴く際の二人だけが共有できる甘美さ、武人であるが故の戦場の姿を妻に見せる自分だけが許される境地。
「白無垢の美しい妻の姿に、自分が愛し身をささげてきた皇室や国家や軍旗やそれらすべての花やいだ幻を見るような気がした」
「夫の姿をこの世にこれほど美しいものはなかろうと思って見つめていた。
・・今死を前にして、おそらく男の至上の美しさをあらわしていた」
「麗子は良人の信じた大義の本当の苦味と甘みを、今こそ自分も味わえるという気がする」
「シーシュポスの神話」 アルベール・カミュ
結語の「シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ」に向かう道筋を興味深く読んだ。
下山の休止の間のシーシュポス。
「下山が悦びのうちになされることもありうる」
「人を圧し潰す真理は認識されることによって滅びる」
オイディプスの例をとり、彼の不条理な勝利の言葉
「これほどおびただしい試練を受けようと、私の高齢と魂の偉大さは、私にこう判断させる。
すべてよし、と。」
「この言葉は運命を人間のなすべきことがらへ、人間たちのあいだで解決されるべきことがらへと変える。
シーシュポスの沈黙の喜びのいっさいがここにある。
彼の運命は彼の手に属しているのだ。彼の岩は彼の持ち物なのだ。」
「不条理な人間は、人間を超えた宿命などありはしない、自分こそが自分の日々を支配するものだと知っている。」
この場合の「不条理な人間」とは不条理を受け入れた人間であろう。
「この時以後もはや支配者を持たぬこの宇宙は、彼には不毛だともくだらぬとも思えない。」
「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。」
自分の不条理な環境、運命を受け入れる己の信念に対する勇気、覚悟、決意、があれば
憧れに向かい魂を輝やかせ、周りがどう判断しようと己自身 幸福と感じられる境地に至る。
「幸福と不条理とは同じ一つの大地から生まれたふたりの息子である。このふたりは引きはなすことができぬ。」
この言葉や趙洲の「澄澄たる絶点」が言うように、
不条理な運命を受け入れることこそが真の幸福を掴むことになるのだと思う。
この本を読んで 「永遠の三島由紀夫/ 執行草舟」の最後を読み返した。
三島先生の最後の言葉、
「自分になにかあった時には・・シジフォスの神話の最後の言葉を思い起こしてほしい。
「幸福なシジフォスを思い描かねばならぬ」それがいまの自分の本当の気持ちだ。」
事件の約半年前に電話をかけてこられたそうで、その頃には想像できないほどの苦悩と不幸を背負われていたのではないかと想起されている。そこから以下の考察が続く。
「葉隠は武士道に基づいた死の哲学ですが、絶望が生み出す真の希望を表している。
死の覚悟がもたらす、真の生命燃焼。・・・
真の希望というのは武士道的なもの、葉隠的なもの、シジフォスの神話的なものです。
そのようなものから生まれる希望というのは、すごく切ないものです。
生命が持つ悲しみであり、人間が持つ慟哭に近いものかもしれません。
そういうものが生み出す、人間生命の煌めきとでもいうものだと今は思っています」
「死と不幸こそが真の人間の魂の永遠性という幸福に至る道である」
どうにもならぬ憤り、悲しみ、虚しさを抱えられていた三島由紀夫氏、事件の折は
「憂国」の中尉のように本当の幸福をつかみ取った、そして自分の使命を果たされたのだと思う。
「永遠の三島由紀夫」終章 最後の言葉 要約
「できるかどうかはわからないけれども、文学というのは神話に向かっていると思っている。自分も向かいたい」
先生が好きな言葉 サヴォナローラ神父
「神が私たちのために定めてくれた死を死ぬことができるなら、私たちは幸福だと思わなければならない」
それは一つの葉隠的な運命論で、先生はあの事件を自分自身の中ではすでに「生命的幸福」と捉えていたと断言できる。
「死と不幸こそが真の人間の魂の永遠性という幸福に至る道である」
三島文学と自ら命を投げ出した三島事件自体が現代の日本の神話であり、こういう尊い神話を持っている国はほとんどない。
私は日本人としてこれに対して幸福を感じなければならないと思っている」
「不幸の中心哲学の思想であり神話であるシジフォスの神話の中から、幸福なものを得なければならぬ」
文学にとって、国家にとって一番大切なことは「神話と現世がもう一度一体とならなければならない」
「精神が物質を完全に支配する」ことが天孫降臨の真の意味
ブロッホの「希望の原理」の最後に「現実の創世記は初めにではなく終わりにある」とある
人類が存続していきたいならば、これから新しい「創世記」を創らなければならないということを哲学的に言っている。
これとウナムーノの「真の愛は苦悩の中にしかない」という思想、
マルローの言葉
「私は三島事件は何ものかの終わりだったと思う。しかしそれがなければ始まりも不可能であるような終わりだった」
が三島の死と符合している
「絶対不幸の中から生まれる何ものかが神話につながる永遠の憧れなのだ」
「血から生まれた真の文学によって精神と肉体の分裂を合一へと成し遂げたい」
先生が身をもってうったえたことが新しい天孫降臨と思わなければ日本の将来はない。
この国から日本人らしい日本人はいなくなり日本列島とそこに住む人々が残るだけ。
日本人と呼ぶ一つの民族、民族の魂を持った人間たち、そういったものがなくなるのではないかと思います。
先生は死と生が等しいという価値観をもっており、あの事件によって「死と生の婚姻」を行ったと捉えている
真の生命の幸福とは自分の人生の中に自分にしかわからない「聖なるもの」をもつこと
この「聖なるもの」を持っている人は、人生においてどのような不幸、絶望があっても、その中からその人の本当の幸福を掴むことができる。
聖なるものを求める生き方こそが 新しい霊性文明へ向かう精神で、生命の幸福こそが霊性文明の本質。
「愚かしさの中で、敗北の中で、苦痛の中で、惨めさの中で聖性を夢見ていた」
三島由紀夫のいう真の幸福とは現代人が幸福だと信ずるものの否定の上に成り立っている
現代社会の中で「不幸」「罪悪」「不条理」だと思いこまされているものの中にこそ、却って真の幸福が存在するのだと気づく
「いかに貧しくそして苦しい時代であろうとも、真の憧れに向かう時代の方が、人間は幸福に決まっている。だからこそ日本は一から出直さなければならないのだ」
どん底から出直さなければならない。それが本当の我々の幸福なのだ。
霊性文明とは、人間の魂が物質を支配する世の中で、そうならなければ滅びるしかない
聖なるもの(憧れ)を追い求める人間の生き方と死に方の中に秘密があると考えている
2026 1/3 2冊を読んで改めて「永遠の三島由紀夫」終章を読み直してまとめた


