先日 といってもかなり前になるが、友人に 「幸せのパン」 という映画のDVDを貸してもらった。
「見守る」
ほのぼのとした あたたかい いい映画だった。
後日 その人と 電話で 2006年上映のドイツ映画 「善き人のためのソナタ」 について 話した。
東ドイツの暗部を描いた映画で 音楽が美しく、そしてラストが美しくて 好き。
かなり昔にみた映画なので、なつかしくなった。
私が大学生の時 ビデオに撮って何度も見ていた 鬼平犯科帳の「本所・桜屋敷」
ユーチューブに後半部分14分だけUPされてたので お気に入りに登録 今もたまに観ている。
粗筋
鬼平と江守徹は幼馴染で 剣術道場にてお互い切磋琢磨していた。
その頃 桜屋敷といわれた道場に出入りしていた娘 万田久子に二人とも恋に落ちる。
抜け駆け厳禁と誓い合って 過ごしているうちに 彼女は商家に嫁いでしまう。
(彼女は江守徹を好いてたよう)
江守は彼女を忘れられず 今も独身を通し 他国の士官も断り 彼女と同じ江戸に住み続けている。
そんな折 彼女の嫁ぎ先に賊が押し入り 一家惨殺。
鬼平が賊を捕らえるが その一味に万田久子がいた。
嫁ぎ先でひどい目にあい 追い出され、 その復讐のため賊と共謀したのだ。
賊の頭が鬼平に取り調べを受けるところから映像がはじまる。。
この本所・桜屋敷もラストが美しい。
そしてこのユーチューブの映像では終わりの音楽で 本来ドラマの前半部分に出てくる
鬼平や江守・万田久子の若かりし頃の映像を 思い出のように編集している。
後で過去を振り返る この演出も 無駄がなく すばらしい。(いつもの音楽時のシーンも好きだけど)
「善き人のためのソナタ」も、
実直で党・職務に忠実で盗聴・監視のプロの主人公が、 監視対象の作家と女優カップルの
自由な感情表現、人間らしい暮らし・愛に目覚め、
上司たちの世俗的な欲望 のために行動している自己への矛盾から 主人公自身が変わっていき、
代償を払ってでも 自分の信じる道を歩んでいく。
と とらえるのが一般的な見方かもしれない。
ただ それもあるけど 主人公が彼女を愛したから とも 私は思う。
男にはそういう愛の形がある。
そしてその潔さに とても惹かれる。
「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候。逢いてからは恋のたけが低し、
一生忍んで思い死する事こそ恋の本意なれ。」 「葉隠」
恋の究極の姿は忍ぶ恋ではないか。
忍ぶことが少なければ少ないほど 恋愛はイメージの広がりを失い、障害を乗り越える勇気を失い、
社会の道徳を変革する革命的情熱を失い、その内包する象徴的意味を失い、
また同時に獲得の喜びを失い、獲得できぬことの悲しみを失い、人間の感情の広い振幅を失い、
対象の美化を失い、対象をも無限に低めてしまった。
恋は相対的なものであるから、相手の背丈が低まれば、こちらの背丈も低まる。
かくて東京の町の隅々には、ピグミーたちの恋愛が氾濫している。
葉隠入門 三島由紀夫 より