父の17回忌に念う

7月某日 父の17回忌。
今回は親戚をよばず 兄弟だけでこじんまりと気楽な感じで行った。

我が家は信心深いほうで 毎月 菩提寺のお坊さんにお経を唱えにきてもらっていたのだが、
3年ほど前に 「体調不良で行けなくなった」と一方的に言われてこなくなった。
形式的なものだし自分たちで読めばいいので ちょうどいいかと母と相談し そのままにしていた。

夕方実家に集まり、私が阿弥陀経を読んで、焼香まわした後、皆で次のお経を読んだ。
読み終わってから 父の最期の時の話など軽く歓談し、タクシーと電車に別れて 串 創作料理RINへ向かう。
生前 父が創作串料理が好きだったこともあり、少し遠いけど 馴染みのお店に兄弟を連れて行った。

食事中 故人を偲ぶというのも あまり無く、今後の日本についてや今の情勢についての話も無く、好きなように各自が軽く話してそのまま終わったのが 少々残念だったけど、まあ楽しく美味しいお料理を堪能したので良かったかと思う。

父の最期の記憶は私と妹で違っていて 捉え方まで違っていたのが驚きだった。 芥川龍之介の「藪の中」 ではないが、違い過ぎておもしろかった。
「人は見たい現実しか見ようとしない」か。

下の子も適度に賑やかに 動きまわったりしたけど、長女が面倒みてくれたこともあり 昼寝無しで眠そうなのにもかかわらず 2時間半いい子でいてくれたし、
皆 とても美味しいと喜んでくれたので 良い時間になった。
親しくしてる店主にも感謝だった。

父との関係は昔はかなり大変だったが、数年前にセラピー系の10か月研修LPLを受けて、 ほぼわだかまりがとれたと思っていた。
それが 今月初め 親友に紹介してもらったホロスコープも使うセラピストさん?にセッションしてもらい、父との関係がさらに大きく動いた。

当時からあった大きなビリーフ「どうせ誰も俺をわかってくれない」が 大きく解消された。
父に理解されたと感じた。そしてセッションの最後、俺をわかろうとしてなかったのは己自身だったと気づけた。
常に自分を責めて、自分の気持ちは押し込めて 淡々と役割をこなしていた。

「報われるためにやるわけではない」

父の最期、癌で余命3、4か月と聞かされてからの数か月は きつかった。
毎月検査に言ってた病院に 3月 母と呼び出され いきなり「癌であともって1年以内の命。当院では今先生がいないので1か月後でないと入院できない」と言われて、
4月 病院を変えると 父が自分が癌と知り 強いショックを受けてしまった。私たちも余命3ヶ月+本人の頑張りで少しのびるかも ぐらいしか生きれないと知って愕然とした。

会社は赤字、会社のやり方について 父との長年の確執、、の下
4月税務調査が入って、その後すぐ レベルも人としても酷かった税理士を私の友人税理士に変え 、
癌と知った父に気づかれないよう経理の把握に努めた。(父が経理をしていたので)

相続専門の税理士さんを紹介してもらい、当時唯一 子供がいた弟に毎月1回 東京から父に会いに来てもらい、
当時独身だった私は見合いを毎月数回おこなった。
入会しながらあまり参加してない青年会議所はこの年に限って役職を担ってしまい 「幹事なのにきてない」と言われながらできる範囲で参加した。

入院中 父は私を信頼できないと言ってるのが漏れ聞こえてきた。
よくケンカはしていたけど根っこではつながってるとおもっていたが そうではなかったのかなと思った。
俺は全てをさらけだしてたんだけど。

やるべきとおもったことを必死でやっていた。 役割を全うするために。 己の気持ちを押し込めて。
ただ 今思い返すとやりたいことをやってたんだなと気づいた。

父は4~6月 月1回 計3回薬?を注入された。体力的に3回しかできないだろうと言われてたが 6月末 気力で乗り越え病状はマシになった。
「この調子なら4回目を7月に打てます。9月までもつでしょう」と医者が言い、私たちは喜びホッと気が緩んだ。
ただ父は3回打ったら治るようなことを言われてたので「4回目打ちます」と言われショックを受けていた。

医者に裏切られたと思ったようだ。4回目打った後 7月10日頃から 急に容体が悪くなった。
医者に「明日明後日までかもしれない。説明するので来るように」と言われ 会社の税理士に対策の為明日来てもらうよう依頼し 夜 病院へ向かった。
別室で医者と話してると 看護婦から父が息を引き取ったと連絡が入った。

父は私たちが来るまでなんとか待ってたのに すぐ行かなかったから死に目に会えなかった。 と後悔が走った。
あの時も自分を責めてたな。。

セラピストさんのセッションの次の日 母と久方ぶりに墓参りにいった。

そして17回忌を迎えた。
17回忌の前にこの体験ができて本当によかった。

そういうのもあって 今回 気負いがあったのかもしれない。
自室で一人 月初のセッションの感覚を思い出し 故人を偲んだ。
それで充分かな。

そして今 書き残すにあたっていろいろ振り返り 当時の自分と出会えた。

「 三井財閥の総帥だった団琢磨が 武士道が生み出した日本の「家」の在り方について 次のように語っている。
「代々それで、お苦しみなさったらよかろう。子孫が何か苦しむものを持っているのが宜しい」
団琢磨は武士道を貫徹した生涯を送った。その大人物が、真の人生、真の繫栄とは何かを語ったのだ。」
執行草舟「超葉隠論 P195」

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代表 金谷光憲

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